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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)8709号 判決

原告 奥山軍三

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 渡辺良夫

同 四位直毅

右両名訴訟復代理人弁護士 高木壮八郎

被告 極洋捕鯨株式会社

右代表者代表取締役 法華津孝太

右訴訟代理人弁護士 大橋光雄

同 辻畑泰輔

主文

一  被告は原告ら各自に対し金二、五六三、一二一円およびこれらに対する昭和四〇年一〇月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告ら

(一)  被告は原告奥山軍三に対し金八、四九〇、四〇〇円、原告奥山いに対し金八、五九〇、四〇〇円およびこれらに対する昭和四〇年一〇月一四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

二  被告

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二主張

一  被告らの請求原因

(一)  訴外亡奥山厚(以下単に厚という。)は原告らの二男であるが、昭和三七年七月一〇日から被告に雇傭され、その汽船千代田丸(二、〇六八・二六トン)に三等航海士として勤務していた。昭和三九年六月五日ニュージーランドのウエリントン港外において、同船一番艙内のバラスト角氷(積荷のない船舶の安定を保つため船内に積みこまれるもの。トンあたり五・五枚)の投棄作業が、航海当直者を除く乗組員全員参加のもとで角氷をモッコに積込みウインチでこれを巻き揚げて船外に投棄するという手順でなされていた。その際、ウインチで巻き揚げられた角氷のうち一枚の約半分の氷塊が艙口付近から落下し、一番艙内で作業をしていた厚の頭部を強打したため、厚は頭蓋骨骨折等により間もなく死亡した。

(二)  右厚の死亡事故は、右作業にウインチマンとして従事していた小山忠司、デッキマンとして従事していた高橋敏光、右作業の指揮監督者である一等航海士阿部雄亮、千代田丸船長柳沢菊四郎の次のとおりの過失行為に基づくものである。そして被告は右四名の使用者であり、かつ右行為は被告の業務の執行につきなされたものであるから、被告は右行為により原告らの蒙った後述の損害を賠償する責任を負うものである。

1 前記角氷投棄作業に際し、モッコ巻き揚げのウインチを操作するウインチマンは、角氷を詰め込んだモッコが中甲板、上甲板、ハッチコーミング等艙口付近に接触すること等により氷塊が落下しないよう巻き揚げの速度、方向等を考慮し慎重な運転をする法律上の注意義務を負担している。のみならず、一番艙のウインチは二機のウインチの組合わせにより一個のモッコを上下左右に移動させるものであるが、右舷側のものは富士電機製三トン巻、左舷側のものは神鋼電機製二トン巻のものであり、両ウインチとも回転数をそれぞれ三段階のノッチで調節するが対応するノッチの巻取速度は互に相違し、また両ウインチの中間に各一個ずつのコントローラーがあるが、操作ハンドルは右舷側のものは前後に左舷側のものは左右に動かす構造であった。このように操作方法や性能の異る左右ウインチを操作するときは、前記注意義務が一層加重されるべきものである。ところがウインチマン小山は右義務に違反して漫然と機械を操作し、モッコを艙口または甲板に接触させ、しからずとするもモッコを振動させ、もって氷塊を落下させたものである。

2 前記作業に際し、デッキマンはモッコの移動と作業員の行動に注意し、モッコから接触、振動により氷塊が落下しないように、ウインチマンに対しホイッスルその他の方法により落下の危険のある場合は合図し、さらにモッコが艙口外に移動し氷塊が艙内に落下する危険がなくなったことを確認したのち艙内の作業員に対してその旨の合図をして事故を未然に防止すべき法律上の注意義務を負担している。ところがデッキマン高橋は右義務に違反し、モッコが安全な位置まで移動する前に、艙内の作業員に対しモッコが艙口外に出て安全である旨のホイッスルをならして、厚ら作業員をして誤って艙口直下に立入らしめ、かつウインチマンに対してモッコから接触または振動により氷塊の落下する危険があることを合図せず、もって前記事故を惹起したものである。

3 前記作業に際し、船長柳沢は千代田丸全体の指揮監督者として、一等航海士阿部は右作業の指揮監督者として、十分技能を修得したウインチマン、デッキマンを配置し、さらに氷塊落下に対する監視員を配置するなど安全確認の方法を定めるべき法律上の注意義務があるにもかかわらず、これに違反して未熟なウインチマン、デッキマンを配置し、かつ安全確認の方法を明確に定めずに右作業を厚らに行わしめ、もって前記事故を惹起したものである。

(三)1  厚は死亡により次のとおりの損害を受けた。すなわち、厚は昭和一一年一〇月八日生れで、昭和三九年六月五日の死亡当時約二七年七月の独身の男子であったから、同人の平均余命は四〇年を下らないものである。そして厚は甲種二等航海士の資格を有し、被告の社員として千代田丸に勤務し年平均金九六〇、〇〇〇円の収入があり、生活費として年平均金一九二、〇〇〇円を支出していたから、年間金七六八、〇〇〇円の純収入があった。従ってホフマン式により中間利息を一年毎に控除したむこう四〇年間の厚の得べかりし利益は金一六、五八八、八〇〇円である(金七六八、〇〇〇円と二一・六の積)。よって厚は右の得べかりし利益を失いこれと同額の損害を受けた。

2  また厚は死亡により精神的苦痛を受けたが、これを慰藉するには、金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  原告らは厚の父母であり、厚の死亡により精神的苦痛を受けたが、これを慰藉するにはそれぞれ金五〇〇、〇〇〇円が相当である。そして原告らは厚の死亡により、右12の損害賠償請求権の各二分の一を相続した。

4  原告らは厚の死亡により、船員保険法の遺族一時金八六四、〇〇〇円をそれぞれ受領し、また被告からそれぞれ金四〇、〇〇〇円、原告軍三において金一〇〇、〇〇〇円を受領した。したがって、原告軍三は被告に対し、前記1記載の逸失利益の二分の一から右既受領金合計金一、〇〇四、〇〇〇円を控除した残額、および右2記載の厚の慰藉料の二分の一金五〇〇、〇〇〇円および右3記載の慰藉料金五〇〇、〇〇〇円の合計金八、四九〇、四〇〇円の損害賠償請求債権を、原告いは被告に対し同様に(但し、既受領分は合計金九〇四、〇〇〇円)合計金八、五九〇、四〇〇円の損害賠償請求債権を有するものである。

5  よって、被告に対し、原告両名はそれぞれ前記各金員およびこれらに対する被告が遅滞となった日の後である昭和四〇年一〇月一四日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁および抗弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、本件事故に際し、小山および高橋が原告主張のとおりの作業を分担し、阿部が投棄作業の指揮監督者であったこと、被告が右三名および柳沢船長の使用者であることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。同(三)の事実のうち、厚の年令および同人が独身であったこと、原告らが厚の父母であって厚の死亡により各二分の一の割合でその権利義務を相続により承継したこと、原告らが原告ら主張のとおりの遺族一時金、被告から各金四〇、〇〇〇円を受領したことは認めるがその余の事実は否認する。船員は労働の性質上六〇才をこえて稼働をつづけることは不可能であるし、労働協約により定年は五八才までと定められているから、厚の稼働可能期間は五八才まであと三〇年五月である。厚の死亡当時の過去一年間の収入は手取金八三八、二一六円である。

また原告らは原告軍三が被告から金一〇〇、〇〇〇円を受領したと主張するが、右金員は、原告らが受領したものである。なお原告らは固有の慰藉料を請求する以上、厚の慰藉料の相続は認められるべきではない。

(二)  厚には、同人の死亡事故発生につき次のとおりの過失がある。

海上においてウインチ操作による本件のような作業を実施するに際しては氷塊の落下を完全に防止することは、そもそも不可能であるから、作業員は各自事故防止のため充分な注意をしなければならない。本件の場合、千代田丸の一番艙においては艙内から艙口付近が見える状況にあるので、阿部一等航海士は厚ら作業員に対し、モッコが空になって艙内に戻るまで、やむを得ぬときでもモッコが艙口外に出て氷塊が落下するおそれがなくなるまで艙口直下に出ないように注意をあらかじめ与えていた。ところが、厚は右注意に違反して自ら安全を確認することもせず艙口直下に飛出したため、本件事故に逢ったものである。当時厚は後の航海当直勤務に備えて休憩を命ぜられていたのに敢えて本件作業に参加したものであり、また作業員として当然に着用すべきヘルメットおよびスパイクの着用を怠っていた。厚は三等航海士として、一般作業員の安全をはかるべき職責を有していたのだから、これらの過失は重大であるといわねばならない。本件事故は専ら厚の以上の過失によって発生したものである。仮りに、小山ら被告の被用者に事故発生につき過失があったとしても、加害者である同人らと被害者である厚は、等しく被告の被用者として一つの作業組織内にあるものであり、かつ厚は三等航海士として小山、高橋の上司であり、阿部とともに作業全体の安全に配慮すべき立場にあったものであるから、厚は民法七一五条にいう第三者にはあたらないものというべきである。仮りにそうでないとしても、厚の過失は本件損害賠償の額を定めるについて斟酌されるべきである。

(三)  被告は加害者である小山らの選任および事業の監督につき相当の注意をなしていた。すなわち、小山、高橋、阿部、柳沢については、いずれも船員としての資格を有するものから選任し、船員法の定めるところにより十分休養を与えていた。また、阿部は前記のとおり作業にあたって作業員らに十分注意を与えていたから、これをもって被告は事業の監督につき相当の注意をなしたものというべきである。

(四)  原告らは、その主張のとおり船員保険法による遺族一時金の支払を受けているから、船員法第九五条により、被告は一切の災害補償の責任を免れるものである。

(五)  既に述べたように被告は本件に関し原告らに対し金一〇〇、〇〇〇円を支払った。被告が右金員を支払ったのは、昭和四〇年一月一六日、被告と原告らおよび原告ら代理人全日本海員組合厚生部次長花崎治男との間において、被告は原告らに対し金一〇〇、〇〇〇円を支払い、原告らは以後一切被告に対し本件事故に関し損害賠償請求はしない旨の和解が成立したことによるものである。したがって、原告らの本訴請求は既にこの点において失当であるといわねばならない。

三  抗弁に対する答弁、および再抗弁

(一)  右二、(二)(三)の事実は否認する。同(四)の主張は争う。同(五)の事実のうち、原告軍三が金一〇〇、〇〇〇円を受領したことは認めるがその余の事実は否認する。

(二)1  被告主張の和解は被告の詐欺によるものであるから、原告らは被告に対し昭和四一年三月一日本件第四回口頭弁論期日において取り消しの意思表示をした。すなわち、被告は請求原因記載の理由により原告ら主張のとおりの多額の損害賠償債務を負っているにもかかわらず、右和解にあたり、事故の事情を隠し被告が一切責任がないかのごとく原告らを欺きその旨原告らを誤信せしめたうえ、和解を成立せしめたものである。したがって、右の和解は当初から無効なものとみなすべきである。

2  右のとおり原告らは被告には一切損害賠償の責任がないものと誤信して和解を成立させたのであるが、後になって被告に責任がある旨判明したのであるから、和解にはその前提につき要素の錯誤、または表示された動機に錯誤があり、無効である。

3  原告らは被告に対し、既に受領していた保険金等を控除しても合計金一七、一八〇、八〇〇円の損害賠償請求債権を有するにもかかわらず、右の和解の当時原告いの心身の健康状態が著るしく悪く、しかも前記のとおり多額の損害賠償請求権があることを知らなかったので、やむなく僅か金一〇〇、〇〇〇円の支払を受けるのと引換えに、和解を成立せしめたものである。従ってこの和解は原告らの無知と窮迫とに乗じて成立したもので公序良俗に反し無効である。

四  再抗弁に対する答弁

右(二)1ないし3の事実はすべて否認する。被告は事故発生以来可能なかぎり原告らに対し事故の事情を連絡していたし、原告らが直接事故の関係者らから状況を聴取できるように配慮した。また原告らは、神戸海上保安部の事故の捜査につき、取調べの内容を係官から説明を聞き、取調調書を閲覧したから、和解にあたり事故の状況を知悉していた。また和解の交渉にあたっては、海事の専門家である全日本海員組合厚生部次長の花崎が原告らの代理人として参加していたのである。さらに原告らは厚の死亡により合計金二、〇〇〇、〇〇〇円を越える金員を受領している。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告らの二男であり被告に雇傭されて汽船千代田丸に三等航海士として勤務していた奥山厚が昭和三九年六月五日ニュージーランドのウエリントン港外において、同船一番艙内でバラスト角氷(トンあたり五・五枚)の投棄作業をしていた際、巻き揚げられた角氷の一部が落下したため、頭部を強打されて頭蓋骨骨折等により間もなく死亡したことは、当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。すなわち、本件角氷投棄作業にあたっては、艙内の角氷を引上げ船外に移動投棄するため三枚のモッコが使用された。この作業は、先ず艙内の作業員によって角氷を詰められた一枚のモッコがウインチで艙口上まで巻き揚げられると、デッキマンがハッチコーミングに一端を止められているワイヤーの他端にあるフックをそのモッコにひっかけ、そのままモッコをウインチで船外に移動して角氷を海中に投棄し、この間艙内の作業員は空のモッコが返るまで他の二つのモッコに角氷を詰める作業にあたる、という手順で進められていた。このようにして艙口上まで巻き揚げられたモッコが舷側に移動するまでの間には、モッコから相当大きな角氷が艙内にこぼれ落ちることがしばしばあり、これは作業の性質上避けられないことであった。デッキマンは甲板上にいるのでモッコが、艙内に氷が落ちないような安全な場所に移動したことを確認できる位置にあり、また合図用のホイッスルも持っていた。しかし、デッキマンが安全確認のためにこれを吹くことについて作業責任者から指示をされたことはなく、その他艙内の作業員に対し、氷が落下するおそれのなくなったことを知らせる方法はまったく講じられていなかった。この作業の責任者として指揮をとっていた(この事実は当事者間に争いがない。)阿部一等航海士は空のモッコが艙内に返ってくるまで艙口直下に出ないように艙内の作業員に対して一般的な注意を与えてはいたが、空のモッコが返ってくる前でも、もう一つの空のモッコが艙口直下にあるとき等の場合には作業員が、ウインチの音、ワイヤーの張りぐあい、モッコが舷側にあたる音等により自ら安全を判断して艙口直下にでることをも時には作業の必要上黙認していた。厚はこのような状況の下で作業をしている内、艙口上に引上げられたモッコから氷塊の落下する危機が未だ残っている間に艙口下にある空のモッコをとるため艙口下に出たため、艙口上から横に移動を始めたモッコから落下した氷塊に頭部を強打されて死亡するにいたったものである。以上のとおり認められる。≪証拠判断省略≫

右認定の事実から考えると、本件作業の指揮監督にあたった阿部一等航海士としては、氷塊の落下自体を防止することが不可能な本件のような作業の実施に関しては艙内の作業員の安全を守るため、モッコから氷が艙内に落下する危険のなくなる時期を最も確実に判断できる甲板上の艙口付近に監視員を置きこの者から艙内の作業員に対し安全な時期を知らせることにする等の処置をとることによって、その安全な時期までは作業員が艙口直下に出ないように注意すべき義務があるといわねばならない。ところが同航海士はこれを怠り艙内の作業員が自らの判断で空のモッコが返る前に艙口直下に出るにまかせたものであって、作業の指揮監督者として安全確保上に過失があるといわざるをえず、本件事故はこの過失によって惹起されたものといわねばならない。そして、被告がその事業のため阿部を被用する者であることは当事者間に争いがなく、阿部の不法行為が被告の事業の執行につきなされたことは前認定の事実から明らかであるから、被告は他に特段の事由のない限り阿部の不法行為につき責任を負うべきものである。

三  しかしながら、他方前段の事実認定に供した各証拠によると、本件事故に際し、厚は氷塊の落下の危険性について判断を誤まり、安全を充分確認しないままで艙口直下に飛出したものである事実を認めることができ、この認定を動かしうる証拠はない。したがって、本件事故は前認定の阿部の過失に基因するものではあるけれども、被害者である厚の右認定の過失もまた事故の原因となったものと認めるべきである。この点に関し、被告は厚がヘルメットおよびスパイクを着用していなかった事実(この事実は前掲各証拠により認められる。)を指摘するけれども、落下した氷塊は、五・五枚あたり約一トンの重量を有する角氷の一枚の約半分(約九〇キログラム)であったことは当事者間に争いがなく、また、≪証拠省略≫によれば氷塊が落下した距離は約八メートルであった事実が認められるので、これらの事実から推測される氷塊の落下に要した時間と氷塊による打撃の大きさとを考慮すれば、厚がスパイクを着用していたとしても氷塊から身をかわすことが可能であったとは到底考えられないし、また、厚がヘルメットを着用していたとしても死亡の結果を免れることができたとは思われないから、結局厚がスパイクおよびヘルメットを着用していなかったことは、本件事故の発生に対し直接の因果関係を有しなかったというべきである。また、本件事故が厚の過失のみに基因するという被告の主張は以上の認定に照らして採用の限りでない。結局、厚の前認定の過失は本件事故による損害の額を算定するにつきこれを斟酌すべきものであるけれども、本件作業がそれ自体相当の危険を伴なうものであることや厚が三等航海士として他の作業員に率先してその模範となるような作業をなすべき立場にあったこと等を考慮すると、本件事故の原因となった過失の割合は厚が六阿部が四とするのが相当である。

四  そこでつぎに損害の額について判断する。≪証拠省略≫によれば、厚の死亡直前の一年間の収入は、金九二二、〇二二円であったことが認められ、この認定を左右する証拠はない。そして、当事者間に争いのない厚の年齢、職業および同人が独身の男子であった事実を綜合すれば、厚のその当時における一年間の生活費は右総収入の二五パーセントに該当する金二三〇、五〇五円であったと認めるのが相当であるから、厚の年間実収入は、金六九一、五一七円である。そして厚の稼働可能期間については、満五八才まであと三〇年五月の範囲で当事者間に争いがなく、厚がこれを超える期間稼働可能であった事実を認めるに足りる証拠はない。

従って厚の失った得べかりし収入は、ホフマン式で一年毎に中間利息を控除し、前記認定の割合で過失相殺すると、金五、〇三四、二四三円となり(金六九一、五一七円と一八・二と〇・四との積)、厚は本件不法行為により右と同額の財産上の損害を蒙ったものと認めるべきである。

また、厚および原告らが本件不法行為により蒙った精神的苦痛を慰藉するためには、厚において金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告らにおいてそれぞれ金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けることが相当であると認められる。

そして、原告らが厚の父母として厚の請求権を各二分の一の割合で相続したことは当事者間に争いがない。また、原告らが船員保険法に基づき本件事故による遺族一時金八六四、〇〇〇円をそれぞれ受領したこと、被告から本件事故による損害賠償の一部としてそれぞれ金四〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがない。さらに≪証拠省略≫によると、以上のほかに原告らが被告から各金五〇、〇〇〇円を受領したことが認められ、この認定の妨げとなる証拠はない。

そうすると結局、原告らはそれぞれ被告に対し、厚の蒙った前示財産上の損害と慰藉料請求権との二分の一に原告ら固有の慰藉料を合算した金三、五一七、一二一円から、前示の支払を受けた分を控除した金二、五六三、一二一円の損害賠償債権を有するものと認めるべきである。

五  被告は、被告が被用者である阿部の選任監督につき相当の注意をした旨を主張するけれども、その事実を認めるに足りる証拠はないから、右の事実を前提とする免責の抗弁は理由がない。また、被告は、原告らは船員保険法による一時金の支払を受けたから、船員法第九五条により被告は一切の不法行為の責任を免れると主張するけれども、船員法の右の規定をそのように解すべき何の根拠もないから、この点に関する被告の主張は失当である。

六  ≪証拠省略≫によると、昭和四〇年一月一六日に被告と原告らおよび原告ら代理人花崎との間に、被告主張のとおりの内容の契約が成立し、右契約に基づいて原告らは被告からそれぞれ前示の金五〇、〇〇〇円の支払を受けたことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

しかしながら他方、≪証拠省略≫によると、右の契約の成立するにいたった経緯につき次のような事実が認められる。すなわち、原告らは右の契約に先だち被告と賠償金の支払につき交渉した結果、被告から各金四〇、〇〇〇円の支払を受けた。被告はその時以来、被告のような漁業会社が乗船中の船員の事故につき船員法、労働協約、社内規定に定められた金員以外に支払いをした例がなく、原告らに対するこの所定の金員は既に支払済であり、また被告にはなんら過失がないとして、損害賠償の請求には応じられないと主張し、前示契約の交渉にあたっても同様の主張をしていた。

また原告らの依頼により代理人として右交渉に参加した全日本海員組合厚生部次長花崎も原告らに対し、金五〇〇、〇〇〇円程度の弔慰金ならともかく不法行為の賠償金を請求することは組合の力の及ばないことであり、訴訟で争っても難しいであろうと助言していた。その上、厚の死亡により甚大な精神的打撃を受けた原告いの精神状態は右の交渉当時頗る不安定であって交渉を長く続けることに堪えきれないような状態にあり、原告軍三の憂慮するところであった。これらの事情から、法律的知識が欠如していた原告らとしてはこれ以上要求することは法律的に無理であり、実現の可能性もないと考えて交渉の妥結のみを急ぎ、前示の契約の締結に踏み切るにいたったものである。

以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。以上の事情に加えて、原告らが被告に対し前認定のとおり各自金二、六一三、一二一円(金五〇、〇〇〇円受領前)の請求権を法律上有することを考え併せるときは、前示の契約は原告らが各自僅かに金五〇、〇〇〇円の支払を受けることにより右の請求権を放棄した結果をもたらすものというべく、原告らの無知と窮迫とにつけこんで原告らに著しく不利な事項を定めた契約であるというべきである。そうすると右の契約のうち、原告らが残余の請求権を放棄した部分は公序良俗に違反し、無効であるといわざるをえない。したがって右の契約の有効であることを前提とする被告の抗弁もまた理由がない。

七  以上のとおりであるから、被告は原告ら各自に対し金二、五六三、一二一円およびこれらに対する履行遅滞の後であることの明らかな、昭和四〇年一〇月一四日から支払済まで民法所定年五分の割合による金員を支払わねばならない。よって原告らの被告に対する本訴各請求は右の限度で正当であるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秦不二雄 裁判官 橘勝治 細川清)

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